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武蔵野航海記

武蔵野航海記

ヨセフス

こちらに来て半月以上になりますが、実は何もしておりません。
だらだらと時間を過ごしていて懸案事項は何も処理していません。
このだらだらは当分続くと思います。

クリスマスと元日は教会のはしごをしました。どんな説教がされているのか興味があったからです。

ある牧師がヨセフスの話をしましてそれが面白かったので、このヨセフスの話をしようと思います。

手元に資料がないので記憶に頼って書きますから一部不正確なところがあるかもしれません。

ヨセフスというのは2000年前のユダヤの名門出身の政治家で「ユダヤ戦記」を残しました。

2000年前のユダヤは非常に複雑でした。

「サロメ」というオペラをご存知でしょうか。
オスカー・ワイルド原作の小説をオペラにしたものですが、ヘロデ王の娘がサロメです。

預言者ヨハネという男がここで登場します。
獣の皮を来て砂漠で生活していて、その宗教的指導力のゆえに非常に尊敬されていた男です。

彼はイエス・キリストに洗礼を授けたのでキリストの師匠でもあるのです。

このヨハネが王であるヘロデを徹底的に非難したのです。

なにしろ民衆に非常に人気の有る指導者でしたから扱いが難しいわけで、ヘロデ王は機会があったらヨハネを殺そうと考えていました。

オペラではサロメが踊りを踊ったご褒美にヨハネの首を要求したので、いい口実ができたとしてヘロデがヨハネを殺したということになっています。

14歳の少女がいくら母親の示唆とはいえむさいおじさんの生首を欲しがるとはとても思えませんから史実ではないのでしょうね。

こんなわけでヘロデ王は非常に残忍でユダヤ教の教えを守らない王だったのですが、王としては非常に有能でした。

シーザー対ポンペイウス、オクタビアヌス対アントニウスというローマの内乱のなかで自国の利益を守ったというのが歴史家の評価です。

またユダヤ教司祭の政治関与を排除してユダヤ教という特殊な宗教がローマといざこざを起こさないようにさせたのです。

この有能なヘロデ王の死後、ユダヤは非常な困難に直面します。

ユダヤ人の信じている神は全てを創造した神で、神の教えが正義とされます。

神の教えがそのまま法律になるために、神の意思を民衆に伝える祭司が政治を行うのがユダヤ人には正しい制度なのです。

そこでヘロデ王の行う政治に祭司たちが色々文句をつけたのですが、ヘロデは自分に逆らう祭司達を殺しまくったのでした。

当時のユダヤ王国は弱小でローマの事実上の保護国でした。

そしてヘロデ王は自分の地位を保つためにローマ人の意図に沿った政治を行い、それが神の意思に反するという理由で抵抗した祭司を粛清したわけです。

ヨハネもそのうちの一人だったのです。

反対派を力で押さえつけたのでヘロデ王が生きている間は、ユダヤ王国は平和でした。

このためにローマ人の評価が高く小さな王国の王なのに「大王」と呼ばれていました。

このヘロデ「大王」の死後、その後継者は父ほど狡猾でなく無能だったので祭司たちと紛争を起こし国が乱れてしまいました。

そこでローマの皇帝はこの無能なユダヤ王をクビにし、ユダヤはローマの直轄領となりました。

そしてローマから派遣された総督によって納められるようになったのです。

ユダヤがローマの直轄領になったのは、イエスキリストが少年の時のことでした。

ローマはむやみに異民族の王を廃止し直轄領にするということはありませんでした。

むしろ固有の王国を温存しそれと同盟関係を結ぶ方を好んでいました。

異民族を直接統治すると何かと問題が多く出てくるからです。

ところがユダヤはローマにとって結構大事でいい加減な対応が出来ないところだったので、やむを得ず直接統治を行ったのです。

ユダヤの地は強敵ペルシャやエジプトに隣接しているので、そこが混乱するとローマの防衛に重大な支障が出てくるからです。

また故郷を離れてローマ帝国内の大都市に住んでいるユダヤ人が多く、彼らはエルサレムを心のふるさとにしているので、ユダヤが政治的に不安定になると彼らが騒ぎ出すのです。

ローマ帝国内の大都市としてはローマ以外にエジプトのアレキサンドリアとシリアのアンティオキアがありましたがどちらも人口が百万人でした。

そしてそのうちユダヤ人が40万人づつ住んでいたのです。

ローマ帝国全体に散らばっているユダヤ人は全人口の一割ぐらいでユダヤそのものは田舎だったのですが、ユダヤ人と言う民族は無視できなかったのです。

ヘロデ大王が頑張っているあいだは、ユダヤ人とローマ人が直接接触することはありませんでした。

しかしローマの総督が直接統治しだすと両民族の違いから起きる軋轢が大きくなってきました。

ローマ人の神は多神教でちょうど日本の神と同じようにあやふやな性格を持ち、ユダヤの神のような峻厳なものではありませんでした。

だからローマ人は異国の宗教には非常に寛容で宗教により人を差別するという発想はありませんでした。

ローマの神は人間に恵みをもたらすものであり、人を正義の名で裁くようなものでは無かったです。

ローマの神は正義を作り出すものではないので、ローマ人にとっては法律とは人間が自分たちで作るものだったのです。

ところがユダヤ人の神は唯一神で、他所の神を信じることは最大級の罪なのです。

また神の正義が法律であり、法とは自分たちが作るものではなく神から与えられるものだったのです。

ローマ人には宗教が政治に関与することはとんでもないことだったのですが、ユダヤ人にとっては宗教家こそが政治を行うべきだったのです。

ユダヤ人が忠誠を誓う相手は神だけですから、ローマの皇帝に忠誠を誓うなどはとんでもないことなのです。

軍人になるとローマの皇帝に忠誠を誓わなければなりませんのでユダヤ人は軍人にはなりませんでした。

またユダヤ教には宗教的な制約が多いのでユダヤ人の兵士は役に立たないのです。

このようなユダヤ人の特殊性をローマの皇帝も認めていてユダヤ人には兵役を免除していました。

ローマ人から見れば自分たちが体をはってユダヤ人を守ってやっているのに全然感謝されないどころか邪魔者扱いされているという不満が募ってきたのです。

ユダヤ人とギリシャ人は商売敵で昔から仲が悪かったのですが、ローマ人は伝統的に両者の調停役でした。

ギリシャ人はローマ人と同じように多神教で文化的にはローマの師匠格でしたから両者の文化的軋轢はありませんでした。

そこで時代が経つにつれてユダヤ人とギリシャ人の争いにローマ人はギリシャ人の肩を持つようになってきたのです。

このようにして、ローマから派遣された総督とユダヤ人の仲が険悪になって行きました。

ローマ人は宗教的偏見の無い民族で、ユダヤ人に対しても悪い感情はもともとなかったのですが、深く付き合うにしたがってローマ人はユダヤ人にうんざりしてきたのです。

そしてついにユダヤ戦争が起きてしまいました。起きたのは紀元66年でイエスキリストがはり付けになってから30年後です。

ローマの総督がエルサレムの神殿の金貨を没収したのがきっかけで暴動が起こり、それが最終的に反乱になったのです。

総督は滞納された税金の代わりに神殿に納められた金貨を没収したのです。

しかしユダヤ人にしてみれば神に捧げられた金貨は神のものであって、人間の借金のかたになるものではありません。

ローマ人がユダヤの神を侮辱したと受け取ってしまったのでした。

このときにヨセフスはユダヤ反乱軍の一部隊の指揮官を勤めました。

フラウィウス・ヨセフス(37~100年)は有名なローマ皇帝ネロと同年で、イエスキリストより一世代若い人物です。

本名はヨセフ・ベン・マタティアフでフラウィウスというのはローマ皇帝の苗字をもらって付けたのです。

これでも分るとおり非常な名門の生まれで父親は祭司で母親は王族でした。

十代後半にユダヤ教のいろいろな宗派を経験し荒野での修行もしたようです。

20台後半でユダヤからローマ皇帝に派遣された使節団の一員になっていますから、ユダヤの長老たちの信頼はあつかったのです。

ローマではネロ皇帝の妻で、美人で有名だったホッパエア皇后にすっかり気に入られ友達になりました。

ヨセフスは非常にハンサムでもあったらしいのです。

これから数年後にユダヤ戦争が起こりローマは大軍で攻めてきました。

大帝国の首都を見た彼にはユダヤ戦争の結末は容易に予想できたでしょう。

しかし彼はユダヤ反乱軍の部隊長としてヨタパタの町を守って戦いました。

ユダヤの名門としては当然の行動です。

そしてヨタパタ守備隊が壊滅したときにヨセフスは近くの洞窟に逃げ込みました。

彼が逃げ込んだ洞窟には反乱軍の指導者40人が隠れていました。

ヨセフスは降伏すればローマ軍は捕虜を殺さないからと降伏を主張しました。

しかし40人は降伏を拒否しました。

40人の反乱指導者にとって自由とは神を信仰できることを意味します。

そしてこの神を信仰し神の意思による政治ができる「自由」がなければ死んだほうがましだと主張しました。

このユダヤ教の「自由」の発想はキリスト教にも受け継がれています。

キリスト教徒にとって「自由」とは権力に遠慮せずに自分の信仰する神を礼拝できる自由を意味します。

この「自由」の考え方は「憲法」を通じてキリスト教がいかなるものか何も知らない日本にも入ってきました。

そして日本では「自由」とはエロ本を出版できることを意味するようになってしまいました。

このようにヨセフスが提案したローマ軍への降伏は拒否され、皆で自殺することに決まりました。

くじ引きで負けた者が勝った者を順番に剣で刺し殺すことになりました。

40人が次々と自殺していき、最後にヨセフスともう一人だけが生き残った段階でヨセフスはその相手を説き伏せて降伏をしたのです。

ヨセフスが降伏したローマ軍の司令官がヴェスパニアヌスで彼の捕虜になります。

そしてヴェスパニアヌスの息子で父親に従って空軍していたティトスとは親友の関係になってしまい、捕虜とはいえ十分優遇されました。

ところがヨセフスが捕虜になっている間に首都ローマで反乱が起き、皇帝ネロが自殺してしまいました。

そして紆余曲折を経てローマの軍司令官であるヴェスパシアヌスがローマの皇帝になってしまったのです。

ネロ自殺の後の内乱でユダヤ戦争は一時中断しましたが、ヴェスパニアヌスが皇帝になって戦争が再開されました。

このときヨセフスはローマ軍に従軍し首都エルサレム攻略戦に参加しています。

そして主として反乱軍のユダヤ人に降伏を呼びかけていたのです。

このエルサレム攻略戦では女子供も含めて110万人のユダヤ人が死んだとされています。

ローマ帝国の版図に散らばっていたユダヤ人が全部で700万人で、ローマ全体の人口がおよそ7000万人ぐらいでしたから物凄い犠牲者です。

さらに生き残ったユダヤ人の中にも奴隷に売られた者も多かったのです。

一方のヨセフスですが、ヴェスパシアヌスの死後息子のティトスが皇帝になったので、ヨセフスは皇帝を親友に持つことになったのです。

このようにしてヨセフスはローマで何不自由のない生活をし、大帝国の高官として生涯を終えました。

ユダヤ人から見ればヨセフスは裏切り者です。

ヨセフスは洞窟で自殺するという反乱軍幹部の決議に従わず生き残ってローマ軍に降伏した理由をユダヤ戦争の史実を後世に伝えるためだと説明しています。

確かに彼が書いた「ユダヤ戦記」なしではこの当時の情況がまるで分らないので非常に貴重な記録なのです。

だから現代のユダヤ人も皆ヨセフスのユダヤ戦記を読んでいます。

そして民族の裏切り者という非難を彼に浴びせています。

このように彼は非常に評判が悪い男なので、この「ユダヤ戦記」もヨセフスの宣伝や弁解のために内容が信用できないと考える歴史家は多いのです。

しかしヨセフスとて自分の行動を同胞が裏切りと考えるだろうという予想は当然できたはずです。

ヨセフスが自分の命を助けることだけを考えていたのであれば周囲の人間にもそのことが分かったはずです。

ところがヨセフスを捕虜にしたローマ軍の司令官であったヴェスパシアヌスは彼を非常に高く評価しているのです。

ヴェスパシアヌスは父親の素性もよく分らない下層階級出身ですがその健康的な常識と観察力から皇帝にまでなった男です。

やはりヨセフスは後世のユダヤ人たちに自分たちの歴史を正しく伝えるために、同胞の非難を覚悟したうえで生き延びたと考えるべきです。

クリスマスの日に教会で牧師がヨセフスの話をしているのを聞きながら私の頭に浮かんできたのは、チャイナの史官の話と「アンネの日記」でした。

チャイナの歴代の王朝には史官というのがいて皇帝の行動を記録していました。

また前の王朝を倒して新しい王朝が出来ると、倒した王朝の歴史を書く習慣があったのです。

前王朝最後の皇帝が不道徳だったために帝位を失ったことを説明し、新しい王朝が正統だということを証明するのが目的です。

どの王朝だったかどうしても思い出せないのですが、皇帝がチャイナの道徳に反する殺人を行ったのです。

そうしたらその王朝の史官がその事実を記録したのです。

そんな記録を削除するように皇帝は命令しましたが、その史官は命令に従わずに殺されてしまいました。

その史官の空席に殺された男の弟が任命され、また皇帝の殺人の事実を書いてしまいました。

そこで皇帝はその弟も殺しました。

このようにして皇帝は史官の兄弟を三人まで殺したのです。

そして四人目の弟が皇帝の殺人の事実を記録するに及んでさすがの皇帝も今度はその史官を殺すことを諦めたのです。

ヨセフスとチャイナの史官の兄弟とは共通しているところがあります。

事実を後世に残すことが自分の命や社会的評価というものよりはるかに大事だと考えているということです。

日本人にはこんな発想はありません。

日本人にとっては、事実がどうであったかというのはこれほどまで重要なことではありません。

相手との信頼関係のほうが大事なので、「些細な」事実にこだわることをしません。

その結果相手が頑強に主張することをそのまま事実と認めてしまいます。

ユダヤ人やチャイニーズが事実にこだわるのはそれが現実に大きな影響力を持つからです。

ユダヤやチャイナの社会は善悪がはっきりしているのです。

ユダヤの神やチャイナの天が正義を明確に示していて、それが彼らの法になっているからです。

従って人間の行動の善悪を評価する時は、彼が行ったことを調べればいいのです。

事実が明らかになれば、それが天や神の意思に沿うものであるか否かを判断していけばよいのです。

日本人にはユダヤの神やチャイナの天に相当する絶対的な善悪の基準がなく「内心」の状態が重要ですから、事実を追求してもあまり意味がないわけです。

ユダヤ教では、ユダヤ人が神の意思に沿う生活をすれば彼らが繁栄し、反するようなことをすれば神が懲罰のために大災害をもたらすと考えます。

ユダヤ戦争によりユダヤ人は大変な目にあったのですから、神はユダヤ人の不信仰を怒り大きな災いをもたらしたに違いないのです。

従って今後ユダヤ人が同じような災いに遭わないようにするには、事実を明らかにし何が神を怒らせたのかをはっきりとさせなければなりません。

これこそヨセフスが「ユダヤ戦記」を書いた動機です。

ヨセフスはユダヤ戦記を書く事が神から自分に与えられた使命だと考えていました。

自分の恵まれた才能や教育、高い地位にあったことにより色々な事実を知っていたこと。

これらを総合してユダヤ戦記を書けるのは自分しか居ないと考えたのです。

神から与えられた使命を遂行するには、洞窟の中の決議や同胞の反感・嫉妬など物の数ではありません。

チャイナでも同じような事情です。

前王朝が崩壊したのは皇帝が不道徳で天から見放されたからです。そして現王朝が成立したのは創設者が道徳的で天から「天命」が下ったからです。

このような事情でユダヤ人もチャイニーズも「歴史的事実」を重要視します。

キリスト教も善悪がはっきりしていますから、同じように「事実」を重視します。

今、支那や朝鮮が日本人の歴史認識に色々言っていますが、これは彼らが自分たちの権力の正統性を必死になって証明しようとしているからです。

というのは支那の共産党や朝鮮人は自分たちの正統性に自信がないからです。

日本軍と戦ったのは共産党の軍隊ではなく蒋介石の国民党の軍隊でした。

更に言えば日本軍を破ったのは支那軍ではなくアメリカ軍で、支那人はそのおこぼれをもらったというだけのことです。

だから「人民解放軍」が日本軍を打ち破ったことにしないと国内に対して正統性を主張できないのです。

また朝鮮人は当時はすっかり日本人になりきっていたのです。

昭和20年の8月に日本が降伏したときに、朝鮮人は自分たちの政権を作ろうとはしませんでした。

日本の朝鮮総督府は連合国に対し朝鮮を引き渡すから来てくれと頼んだのです。

そうしたら連合国からしばらくは日本の総督府が朝鮮を治めてくれと逆に頼んできました。

朝鮮人が政権を作り上げようとして朝鮮が騒乱状態だったら連合国もこの朝鮮独立軍と交渉したはずです。

朝鮮国内は日本の降伏以後も平穏そのものだったのです。

こういう歴史的事実を大多数の日本人が知らされていません。

こういう事実を主張すれば相手国との「友好関係」にヒビが入ると考えてしまうのです。

こういう日本人の発想の根底には「あるべきようは」という考え方があります。

社会も人間も自然物として存在するという考え方で、本来のあるべき位置にいるのが正しいと考えるのです。

すでに自然が変わり新しい状態が出来ればそれに順応するべきだと考えるのです。

心を無欲にしていれば自分が自然のなかでいるべき位置が分ってくると考えます。

絶対的な善悪があるわけではなく、人間同士や社会組織どうしの関係は相対的な関係でお互いが納得すればそれで問題は解決してしまうのです。

しかし絶対的な正義が存在する社会では、人間同士が合意しても正義が変えられるわけではないのでそんな合意は無意味です。

こういう社会ではお互いが自分の持っている事実を主張して正義を明らかにしないとおさまりがつきません。

自分に有利な事実が十分でないときは事実を捏造する誘惑に駆られます。

キリスト教社会では偽証は大きな罪だという意識がありますから、事実の捏造はある程度抑制されますが、このような倫理の薄い支那では往々にして事実が捏造されます。

ヨーロッパやアメリカという東アジアから遠くはなれたところから日本と支那・朝鮮の関係を見ると、遠くから見るだけ本質がはっきりと見えます。

正統性の主張と言う本質です。

そしてこの本質が全然見えていないのが今の日本人です。

アンネ・フランクというユダヤ人の少女がドイツ軍から逃れてオランダの隠れ家で書いた「アンネの日記」は非常に有名なものです。

この少女は最終的にドイツ人に見つかりユダヤ人収容所で死亡したことになっていて皆さんの同情をひいています。

しかしこの「アンネの日記」は完全な捏造です。

かなり昔からこの日記は内容に不自然な点が多く捏造ではないかといわれていました。

そして決定的なことはこの日記の原稿がボールペンで書かれているということです。

ボールペンは戦後の発明なのです。

ここまで捏造の事実が明らかになっているのにこのスキャンダルが世の中に出てこないのはこの捏造による被害者が沈黙しているからです。

「アンネの日記」の捏造による被害者はドイツですがドイツ自身がこれはウソだと主張していません。

ドイツではナチスを利する活動を禁じる法律があって、これが捏造の表面化を妨げています。

このように命がけでその正義を証明する歴史を保存する覚悟のある民族は一筋縄ではいきません。

民族を永続させる力がその正義という考え方にあることを経験上熟知しているのです。

いまや「ホロコースト産業」とでもいうべきものが出来上がっています。

ユダヤ民族がアメリカだけでなく世界の主要国のマスメディアを支配しているのも彼らの発想からして当然です。

支那人の場合は「正史」に書くという方法を採ります。

教科書問題とか歴史認識という方法です。

これに対して日本のマスメディアのだらしなさを見るととうてい対抗できるはずもありません。

一方、このように命がけで事実や「捏造した事実」をまもるな覚悟はその民族の正義が明確になっていなければなりません。

まさに鶏が先か卵が先かということです。

日本にははっきりした正義がないので事実を命がけで守るという覚悟がないのもまた当然かもしれません。

ちょうど「ヨセフス」を書いている時に、アメリカの映画会社が「南京大虐殺」の映画を作ることに決めました。

実際に起きていないことを、日本がはっきりと否定しなかったためにこんなことになってしまいました。

それどころか日本の学校は税金で生徒を南京に連れて行き支那がでっち上げた「南京大虐殺博物館」を見学させ、感想文まで書かせているのです。

日本が南京を占領した時に、支那政府が日本を非難する目的で各国に通知した報告書には、日本兵が殺害した支那人を数人としています。

この事実も日本人は知らされていません。


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